緊急問安

12月 30th, 2010

年末年始の荒天の予報が出ているため、ある事故が原因で定住者たちのコミュニティを離れ、独りで市内の神社で起居している当事者の安否を確認するために訪問しました。公園の東屋があるので、なんとか雪もしのげそうということを聞き、少し安心しました。

宮城県下実態調査

12月 29th, 2010

夕刻に、仙台市に隣接するいくつかの市の路上生活者調査に出かけ、車上生活者を含め、数名の存在を確認しました。今後もさらに範囲を広げて継続していく予定です。

ちなみに、今年3月に厚労省が発表したホームレス数は、宮城県内119名。内訳は、仙台市108名、石巻市2名、塩竈市3名、岩沼市2名、気仙沼市1名、白石市1名、七ヶ浜町1名、利府町1名となっています。

居宅者支援

12月 29th, 2010

仙台夜まわりグループで運営する部屋に入居している自律途中の方々にお弁当と年越しそば、お餅、石鹸等の日用品を配布して回りました。風邪をひかず、よい新年を迎えられるよう、ひとりひとりに声をかけました。

年末の夜まわり

12月 29th, 2010

12月29日、定例の夜まわりを行いました。「夜まわり」は私たちの「いのちへの寄り添い」の原点であり、年始年末であろうと祝日であろうとも決して休むことはありません。

今回の夜まわりで、今年に入ってから最多の70名を超える当事者と出会いました。初めての人たちも複数名おり、中には外国語を話す人もいました。たまたま参加してくださった台湾出身のボランティアが接触、その当事者がマンダリンチャイニーズ(北京語)を話していることがわかりました。支援物資を手渡した後、足早に姿を消してしまった彼女の行く末を慮ります。

年末年始で様々な施設が閉まって居場所を失った人、新たに仕事を失って路上に出てしまった人たちが増えています。また、ピンハネをするゼネコンの違法下請け派遣業者に人を送る手配師をはじめとして、NPOを名乗る収奪の毒牙に巻き込まれて路上に放り出された人たちもいます。今後とも警戒するように呼びかけが必要です。

深夜に再び、仙台市に隣接する数市とスーパー銭湯で朝まで過ごす当事者の調査に出かけました。

河北新報:非正規労働者の失職30万人超す 2千人増、厚労省調査

12月 28th, 2010

厚生労働省が28日発表した非正規労働者の失職状況によると、派遣切りなどで2008年10月から来年3月末までの2年半の間に仕事を失ったか、失う見込みの非正規労働者は30万737人となり、11月の調査と比べて2188人増えた。該当する事業所数は、75カ所増の5920事業所。

都道府県別でみると、失職者の累計数が最も多いのは、愛知県の4万8689人。東京都(1万9766人)、静岡県(1万1838人)、長野県(1万1605人)、神奈川県(1万873人)の4都県も1万人を超えている。
調査は12月17日時点の数字を集計。労働局やハローワークが、事業所に任意の聞き取り調査をしてまとめた。

2010年12月28日火曜日

緊急支援と「絆」の取り戻し伴走

12月 28th, 2010

緊急保護した全身打撲の当事者は検査の結果、昨日緊急入院、本日手術となりました。

病院のケースワーカーの介在で家族と連絡がつき、本人の状況を説明し、今後のフォローの約束をしました。家族とは昨年来連絡が途絶え、心配して探していたとのことでした。

こうしたことは一部の人に限って起こる特殊な出来事ではありません。どのようなきっかけで孤立し、無縁状態になってしまうか分からないようなこの時代には、「絆」の取り戻しをするために「伴走」する役割が必要不可欠です。

仙台夜まわりグループはそうした伴走の中核的役割を今後も担って行きます。

衛生改善事業

12月 27th, 2010


定例の衛生改善事業を行いました。今年最後の開催です。

約30名の参加があり、シャワーを浴び、洗濯・乾燥で身の回りをさっぱりとさせました。待ち時間の合間にシチューとご飯、クッキーやチョコレートを食べ、雑誌、漫画、文庫本やテレビをみて過ごしました。

今日は久しぶりに日が差し、洗濯物の日干しもできました。

年明け1月1日にシャワー提供を行うことになっています。その際、お雑煮、お節料理を振る舞い、福引き等、新年会で居場所のない彼ら彼女らと一緒に新年を祝います。

緊急対応

12月 27th, 2010

全身打撲で歩くことすらおぼつかない当事者に対しては借宿を提供し、病院に同行しました。余りに酷い状態に医師も驚くほどでした。退院後も適切な治療を受け、安静に保つ環境を提供していきます。

緊急支援 夜でも昼でもどこへでも

12月 26th, 2010

靴底に穴があいて足が水浸しになってしまっているという当事者のSOSに応えて、夜間にJR仙台駅に赴き、運動靴と支援活動予定表を手渡しました。皮膚の感覚がなくなるほど酷い寒さの中、駅舎で暖を取る他の方々の安否も尋ねて廻りました。最終列車が出た後に駅舎のシャッターが下ろされ、寒さをしのぐ場所を失ってしまう彼ら彼女らの苦境を慮ります。