2011.3.18 ラインを越えて

3月 18th, 2011

ライフラインが回復しつつある仙台中心部では、徐々に復興への思いが芽生えていますが、仙台市若林区、宮城野区、県北等の海岸沿いでは行方不明者、孤立して避難中の方、避難所で不便な生活をしている方が数多くいます。それらの「いのち」にどのように届いて行けるか、現在、鋭意検討中です。
拙速な突っ走りではなく、当事者不在の自己顕示欲や自己満足からでもなく、最もよい方法を考慮し、出かけ、出会い、明日を迎えるための心と体の糧を提供したいと願います。どこへでも、どこまでも出て行き、そこにいる東北の仲間とこの時代の苦難を共に担っていきます。

行方不明の女川町のお母さんを探したいとの相談に、来週早々車で送迎、同行することにしました。相談者は、昨日一度女川の避難所を数カ所訪ねるも母親を見つけられず、遺体安置所でもわからなかったということ。遺体安置所では雪の中二時間以上も待機させられ震えながら仙台に戻って来きました。「私は一体どうすればいいのでしょう」という彼女の問いに、被災して途方に暮れる方々の叫びが集約されているようでした。

数万と言われる死者、行方不明者は「万」という塊ではなく、ひとりひとりがなくてはならないかけがえのない「いのち」だったはずです。心配し、途方に暮れる多くの家族がいて、その数だけ悲しみがあります。数万のそれぞれの悲しみ、微力ながら、そこに届いてゆきたいのです。